「」
「人は必要な時に、必要な人と出会う」
そんな言葉があったりする。
何かを成したり、作り上げていく一方、崩れて壊れていく事もある。
それは全て必然であり、なるべくしてそこに行き着くのだと思う。
人の生も同じだと思う。人は何年か生きて、やがて死ぬ。
その刹那には、紛れもなくリアルな価値があり、そこに残る影は永遠に残り続ける。
その影の形は様々だと思う。記憶、思い出、様々な言葉で表されて、脳内に記録される媒体だけではなく、匂いや音などの五感を刺激する形かもしれない。
こうして文字を読めてる以上、生きてる事からは逃れられていないのだろう。
その根幹にある概念と、向き合う事はしたことはあるだろうか?
それは問いかけたい。
あるか?どうか?
それは、誰かの何かに重ねてもいい、真似する事は悪いことでは無い。
生きてる以上、明日は永遠に続く。
生きるという事が、心臓の鼓動が止まるまでという解釈ではなく、その他の解釈であれば、生きることは永遠に続く。
ならば、その永遠に続くであろう道に対して、どう向き合うのか、考えてみるのも悪くは無いのではないだろうか。
何を書いてるのか分からない、何を並べているのか分からない。
けど、曖昧なままでいい。
いや、良くは無いけど、
その曖昧な「間」が、この絶え間ない瞬間の重なりを生み出す。
生み出す事で、止まらないループ、無限、永遠が引き出される。
別に難しい事では無いんだと思う。
自分自身が今感じることを、思うがままに並べてるけど、単純にこの「幸せな街路樹」という曲が、私にとってひとつの座標になっている、ということをタラタラと述べたいだけなのだ。
曲の捉え方は人それぞれ、曲を音楽という概念で捉えるのか、それとも文字として捉えるのか、もしくはその他なのか、多様だ。
彼に感化された今、この曲に感化されてない訳が無い。
色んな岐路に立つことが多い、それはこの20代前半だからなのか、それとも今後先もそれが続くのか、それともこれは私だからなのか、
壊して、崩して、また直して、それを繰り返して大きな意味の「愛」になる。
「愛」なんて別に色んな「あい」に可変させればいいだけ。
まだまだ私の感性は未発達。
こんな変なことばかり書いてるのほんと興味深いね。
馬鹿みたい。けど、悪くないとか思ってしまってる。
けどこれもあれも全部「戯言」
見たあなたも、気持ち悪いって思った人も、戯言だから、別になんも思わないでください。
ただの僕の言葉なんで