日記

頭がぼーっとして、全く言葉が具現化しなくて、それの要因は疲労という事は、この1年間ではっきりした事だけど、それと上手く付き合って、人生の充実、目的に結び付ける方法はまだ見つけられていない。

SNSを日記のように扱っている(画像や文字など使い方は様々だが)中で、やっぱり自身は『感性』という概念を重視した生き方をしたいのだと思う。それはサブカルチックな生き方を好んでいる私にぴったりだと思うし、それが自分らしさを、裏表ない自分を表現する生き方だと認識している。

ただ、そんな生き方をする為には、心の中に余裕を生み出す事が不可欠で、自己鍛錬から逃げたくないという人生目標とは、矛盾することでは無いかと考えている。

それが故、今、しんどい想いをしているのではないかとも、私は分析している。

所謂『仕事を取るか、生活を取るか』ってやつ

仕事内容は有難いことにしたい業界で、携わりたい分野に取り組む事が出来ている。ただ、想像以上に過酷な環境である事は間違いないし、現在若いからこなせている所はあるし、何年も重ねた場合、何かを諦める選択からは逃れられないと思う。生活という面に関しては、趣味は音楽だけではなく、カフェ喫茶に行く事や、鉄道関連の事、バドミントンに関わる事(小学生の指導とか)、ギターだって始めてみたい。

1度しか無い人生の中で、どれも選択したいし、ここに関しては強欲でいたい。この1年の中で、ここまでハッキリと悩みの種(直近で解決すべき大きな分岐点)を明確出来たことは、良い事だと思う。ただ、これからはどれを選択するのか取り組まなければならない。

与えられた環境で、、という生き方もあるが、私は自分のやりたいことが明確である以上、それに抗って生きたい。自分らしく生きたい。

 

 

 

最近、自分の残す言葉が一辺倒になっている気がする。毎回同じ言葉を並べて、いい気になっている。それは自分の考えがあるといういい捉え方も出来るだろうが、それよりも、ボキャブラリーの狭さが露呈している面に危惧したい。

ただ、本や人と触れ合う事で、自分の振れ幅は広がっている、いや広がっている気になっているだけか、広がっているのならそう思うこともないはず。まだか、まだまだ足りないのか、どう何を加えていけばいいのか、分からない。分からないから触れて、出会って、それを繰り返す。出会いは、『出逢い』と表したい。それは拘りだ。

 

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