並べた

ゲスの極み乙女『シアワセ林檎』

 

色んな事に感化されて、言葉を並べたくなった。

最近、音楽に触れることや、言葉を呟く事が少なくなってしまった。

人の心とは、『余裕』と呼ばれるものが無ければ、大切で大事な物でも手放してしまう。

ずっと何かに追われる生活だった。私は今、戦場にタイムスリップしてしまった映画の主人公のような立ち位置にいる。その中で、苦しい事が何度もあった。起こしてしまった事でもあり、故意でなく不意であり、それが重なり、何も無い虚無感と、絶望的な疎外感、誰かにむしゃくしゃな感情をぶつけたい衝動、感情に自分を委ねてしまった。

自分の青さ、青みを帯びた色は好きだ。けど、濃く、哀愁を帯びた色がいい。淡い青さは、未熟さと、青臭さでどうしようも無い。

青に青を重ねて、藍に近い色を目指したい。

これは愛する音楽にも重なるが、藍が良いんだ。

こうやって、余裕のある間に『大事』な物を思い返したい。この休暇はその物を取り戻して、思い出す時間だった。

『音楽』は私にとって、衣食住と並ぶ存在だ。

色んな情景を重ねてきた。『喜び』『別れ』『寂しさ』『悲しさ』『苦しみ』『淡さ』『青さ』『幼さ』『達観』『絶望』『希望』表する言葉なんて、幾つあっても足りない。

しばらく、その触れられる現場から離れていた。そして、日常生活で会っても、触れる瞬間が少なくなってしまった。ただ、思い出すことの出来たあの感情と感覚。

『音楽』だけではない。『存在』であったり、『場所』であったり、『暮らし方』など大事にしたい事が沢山あった。

『存在』という観点だと、歳を重ね、年月を重ねるといつかは別れが来ると思う。

祖父母との別れが近いのかもしれない。そう感じている。ここ数年、コロナの影響で私達だけでなく、人との関わりが減った事によって、老いの速度が向上してしまったのかもしれない。いつか来るそれに向けて、残される私は何をすべきなのか。残される存在である以上、ここに関しては自己中に、自分が後悔しない選択をすべきだと思う。

祖父母だけではない、親や友人、年に数え切れない頻度でそばに居た存在も、今後の回数を数えてしまうと、1年365日にも満たない時間しか会えない可能性が高い。

クリープハイプ『ナイトオンザプラネット』の一節『このまま時間が止まってしまえばいいのにって瞬間が』

夜にしがみついてきた私達は、これから先こういう瞬間が幾つも現れるだろう。その時抱く感情を忘れるべきではない。そう心に刻め。『別れだけが人生』であり、『出逢いだけが人生』でもある。生きたいように生きるべきで、その瞬間の選択を正当化させていかなければならない。夜を迎えて、また朝が来て、日を重ねて、歳を超えてく。苦しさと悲しさと虚しさを抱えて、夜にしがみつく。

また明日。

次はいつ言葉を並べられるのかな。

でも次は必ずあるから、まだまだ生きられる。f:id:monogriri:20230814213515j:image