indigo la End 『忘れっぽいんだ』
最近何があったかな、とふと思った。
私が見知らぬ土地、新潟に来てもうすぐ5ヶ月である。なんだかんだ苦しい事も、悲しい事も、もちろん喜ばしい事もあった。
でも、日々が車窓に映る景色のように、あっという間に過ぎていく。
『あんな事もあったな』と、ほんの少し前のことなのに、はるか昔の事のように感じ、最近のはずだった事が、何ヶ月も前の事だったりする。
時間と日々がカオスに混ざり合い、その混沌の中で生き急いでいる。
そんな毎日を生きているからなのか、最近、ぽっかり何かがない気がしてならない。それは、何となくでなく、『この感情どこに行った?』『こんな時に生まれてた言葉はどこに行った?』みたいにいつもあったはずの『何かが』抽象的な状態で失ってしまったような感覚にいる。
これは良くないよな。
私は音楽を嗜む人であり、感情や感覚、感性、形のない存在であるが、大事にしたいことが沢山ある。
それを大切にする為に先程挙げたような、失ってしまっている気がする『何か』は不可欠であると思う。
正直、ここまで言葉を並べても、抽象的な考えからは脱却出来ないし、何がどうあるべきなのか全く分からない。
曖昧なまま生きるのも良いのかもしれないが、その間に大切なものを失ってしまう訳にはいかない。
失ってしまいそうという曖昧な感情も、こうやって文字にして、形にする事で、失うという事に歯向かうことが出来るのかもしれない。
これも『かもしれない』ただの可能性。
こんなんでいい訳無い。
今日もこんな難しそうに物事考えて、明日も明後日も考えて、また歳を重ねるのだと思う。
曖昧なまま生きて、でも、そのうちそれが形を成して、生きた証になるのかもしれないし、
全てが『推測』なのは、私の若さゆえなのか、未熟さゆえなのか、
こんな推測と想像、妄想を重ねて生きる。