夜明けの『華』

indigo la End 『プルシュカ』

 


私の主観の話をたらたらと並べたいと思う。

人の感情というか、そもそも生物であるべき人間という生き物が、知能と感情というものを得てしまっているからこそ、順応すべき、いや率直にすべき事柄が全く意味を成さないことが多々存在する。それは人間関係にしろ、各種選択の瞬間においても、よぎってしまう事柄のせいで上手くいかない、いや、それがあくまで成功というべき選択だったとしても、それを100の純度で正しいという考えに落とせないところに人間であるからこその粗があると思っている。

私は感情の揺らぎには上手く抗えたり、扱うことがやっぱり苦手で、自分の思う白黒の基準と、真面目であろうとする理想、そして考えたくもない欲望の募りによって、思考の渦の中で溺れている感覚である。だからこそ、言語化する力は人よりもあるのかもしれないが、だが、それを何かのために扱おうとする訳でもなく、ただ、自分が利己的に欲求を求めようとするがため、根底には人を傷つけることに何の抵抗感もない自分がいるのも気づいている。いや、それよりもあくまで個人であるべき他者について、私の思うがままに扱いたいという独占欲が湧き出るからこそ、人を操ろうとする魂胆が見え隠れしている自分の本心に嫌気がさすから、孤独であろう、自立しようと、いや、自立といういかにも自分が大した人間である事を示せる姿勢を安直に利用して、自分をよく見せようとしているのだろう。

人に認められたい、人に依存しているからこそ、その都合よく扱おうとする欲求が生まれるわけで、そうするべきではないという考えが湧いているにも関わらず、『いや、そういう事ではない』という自分が正しいと貫こうとする自分の考え方に苛立ちを覚える。

それを追い求めるならこそ、浅はかな関係性を呪術繋ぎで求めればいいだけなのに、深さを求めるからこそ、そこに二律背反な考えによる溝と、その乖離による悩みが浮かび上がって、それを抗おうとする姿がとてもとても滑稽だ。

私は悪人だ。そうやって自分を陥れようとする癖がなかなか拭えないが、それを光に照らさないからこそ上手くやれる事もある。ただ、その暗い部分に触れさせたい、自己満足の範疇を越えることはないが、その人を苦しめて自分のものにしたいという独占欲に私はやっぱり順応であると思う。

結論、自分をどう持っていきたいのか、そりゃ良い方に持っていきたいのは重々承知しているが、この人には出さない負債は今後も背負うことになるのであろう。だからこそ、どうやって扱っていくのか、簡単なのはその欲求に振り切ってしまう事なんだろうが、そうもいかない、そうしたいとは完全に思えないのが、私がまだまだ不完全な青二才であることの証明だと思う。

多分、今の私のモードは、転換期だからこそ自身の膿出しの時期なのだと解釈しているが、それにしても募ったグロさは目を背けたくなる程に黒く、そしてそれを他人に擦り付けたくて仕方ないのだと思う。

 


蜜は毒で、苦々しく甘く鬱陶しい。

それを脳裏に浮かばさせる匂いが本当に図々しくて嫌になる。単純に扱えるくらいの軽さなら良かったのに、そんなことのない重さを秘めた華だからこそ、色鮮やかで眩く感じてしまっている。非常に危険な存在だと思う。

昔、嫌でも根付いてしまった過去が脳裏に浮かぶ。あれは危険だった、地獄だった、幸せだなんて一言も言いたいと思えないし、あれを無かったことにすることは大抵できないと思う。あれに似ている、だから恐怖が拭えない。でも、毒は魅力的で欲情して抗えなくなる。

そうした経験を1度経たことが、それを経て感じてきたこと、それをこの第2フェーズでどう変化して、どうやって扱っていくのか、これは今後の私の見所であって、物語でいう起承転結の『転』だと思う。これをどう展開していくのかによって人生の面白さが変わっていく。

人生は瞬間瞬間を数珠繋ぎのように紡ぐことの繰り返しである。この刹那に現れる存在と感情が、どうやって私の固く捻くれた塊を加工していくのか、ご期待だ。

 

f:id:monogriri:20260505084515j:image

空白

透明で透き通った心になった気分だ。

 


この1ヶ月半は、気づいたら終わっていた。

正直、全て変わった。この感覚は、コロナ禍のあの混沌としたモヤから抜けれないあの日々を過ごした時に近しいかもしれない。

 


まさかこの感覚になることができるなんて思わなかったし、いわゆるリセット。この歳でこの体験ができるなんて驚きでしかない。

 


ただ、そうなる必要があったと思うし、それがあったからこそ気づくべきことを知れたと思うし、これは必要な時間、瞬間、そうやって捉えることにしたい。悲観的になるなんて勿体ない。

 


感性を鋭くさせようとする行為が心地よかった。

これからは、何かを背負いながらするしかないと思っていたからこそ、こうやってこの瞬間を掴むことができたことはとても喜ばしい。

 


問題はこれからだ。

ここに留まりたいとは全く思えない、私は私を行けるところまで到達させたい。

 


あまりにも抽象的な表現ばかりで、本質を見れているのかと言われたらそこまでかもしれないが、私は私の描く未来に希望はなくても、プライドはある。

 


私には、4月に聴きたくない曲がある。

『戒め』だと思っている。

そうやって表することはやめようとも思ったが、私はやっぱりこの曲がひとつの軸として成り立っている。

 


もっと肯定的な感情を許せるようになりたいね。

 

indigo la End 『通り恋』

 

f:id:monogriri:20260419185356j:image

 

 

 

結局、『笑顔』

冬のなんかさ、春のなんかね

 

恋愛とは、日常の中に断片的に現れるイレギュラーな瞬間で、どうも人間という生き物は、これに振り回されてしまうみたいだ。

この『冬のなんかさ、春のなんかね』と言うドラマは、少し異質なドラマだったと思っている。監督である今泉監督の作品はいくつか拝見済みで、どちらかというと、マジョリティ的観点よりも、少し離れたマイノリティ観点から、日常をくり抜いた描写が多く表現されている。

そういった特徴のある作品を描く監督だからこそ、この地上波にあの雰囲気の作品を作り出すのは、少し異質な情景だったと思う。

 


その要因は、必ず作品に『余白』を生み出して、視聴者に思考を委ねる傾向にあるところだと感じている。その余白をどのように扱うのか、それは各視聴者によって変わってくる。

ある人は、この作品は具体性がないなど、退屈な作品だと比喩する意見がある一方、自身の体験や、登場人物達の心情を想像して感想を膨らませる意見など、SNSが発展した今だからこそ、この視聴者体験型の毎週視聴していく感覚は、どこか今時ではあるが、アナログのように人と人の感情に作品を通じて触れ合うことで、色んな思考を感じる事ができた。

このような作品があることが、人と人の個としての存在が誇張されがちな現代だからこそ、求められて欲しい感覚だと思う。

 


そして、最終回を終えて、かつ作品を視聴してきた感想をそれそれ把握した中で、最後に私自身が感じた事を述べて、この冬、ひとつの楽しみであったドラマに別れを告げたいと思う。

この少し心残りがありつつ、すっきりとした瞬間が、どこか冬の朝に似ているようで嫌いになれないのであった。

 


最終回は、単刀直入に文菜の『因果応報』でしかない。彼女がこれまでしてきたこと、それが彼女に当たり前の結末が降り掛かってきた。

ただ、それだけなのだ。

けど、私がここでも思ったのが、何か似た何かを感じたことがあるという感情を蘇ってきたのではないだろうか。私自身、そういった感覚になったが、それはもちろん演者である杉咲花さん、成田凌さんの素晴らしい演技と、今泉監督をはじめとした皆様の演出と脚本ありきだと思うが、これは恐らく恋愛の断片的な描写が、それぞれがこれまで経てきた何かと重なったからこそ、そういった感覚に陥ったのだと思う。

明確に『これだ!』と決めつけることは恐らく出来ないが、それこそ恋愛というものが、日常に潜むイレギュラーであり、刹那的な感情の揺らぎだからこそ、明確に形にしにくいからこそ、こういった『何か似た感覚』を思い出させるのではないだろうか。

私も、明記はしないが、文菜、ゆきおの2者の言動と感情はとても分かる経験はしてきたと思うからこそ、『ああ、そうなるし、それだからこそ、凄くリアルだな』と率直に感じた。

 


最後の感想、これは私自身の感想だからこそ、自身のことを重ねて、この冬を飾ったドラマに別れを告げたい。

私は、恋人や家族のように親しい人間に『笑顔』を向けられなくなった。それがいつからなのか分からないし、ただ、別れた恋人にも笑顔を見せてもらえないと言われたこともあったし、友人にも最近笑顔を見てないと言われる次第であった。

『なんでなんだろう』と自問自答を繰り返していて、全く答えはこうして綴っている今も見つかっていない。

ただ、小太郎が無邪気に『文菜には笑ってて欲しい、笑ってる顔がいちばんいい』ってセリフ。

 


すごくすごく素直でまっすぐで好きだった。

 


私は自分を守るために着飾る鎧を纏って常に生きていて、それこそマグロのように止まったら死んでしまうのではないかという恐怖感を抱えながら、日々の騒音に身を委ねている。それが正しくないんだろうなぁと思いつつ、脱却する答えも見つからず、生き続けている。

そんな中で、このドラマのように自身の感情と照らし合わせて、言語化して、それを他の人の意見と合わせて咀嚼することが、何か今の自分から変わるためのヒントになるのでは、という淡い期待で見てたところもある。

そんなドラマの最後に行き着いたのが『笑顔』っていうのが、なんか皮肉で、だけど、なんかいいなって率直に思う。

やっぱり、皆さん小太郎なんですよ笑笑文菜も学ばないけど、結局俺も学ばないで、これからも生き急ぎながら生きて行くんだろうなって思う。けど、文菜にとっての小太郎のように、誰かその生き方をしつつも、そばにいてくれる人や、出逢っていく人に感化されてこれからも生きていけたら、ちょっとは幸せかな、笑顔も徐々に増えていくのかなって、最後に思った次第でした。

 


いい冬でした。

 

f:id:monogriri:20260325232751j:image

悔

「こうならなきゃ良かったのに」

そう思ってしまう瞬間ばかりだ、人生は

 

 

 

 

 

 

 


私は今日、会社を突然辞めた。

私自身、同期の中でも出世頭だったと思うし、上司からも有り難い言葉も貰っていたし、大きな仕事に絡ませて頂くことが多かった。

だからこそ得られるものは大きかったが、その代償に多忙な生活、土日もない生活、充分とも言えない睡眠時間と休息と、ご飯も食べれない生活を繰り返していく中で、私は生活の中で笑顔を失った。

特に恋人や親しい友人に見せる顔は、他人行儀なエセ笑顔なんて見せる訳もなく、何故か他人行儀な顔しか見せれてなかったらしい。

昨日、突然心が壊れる音がした。

ああ、こうやって人は壊れ始めるのかなって気づいたし、これ、気付けなかったら死んでたかもなぁって昨日のことなのに、遠い昔の事のように感じるし、そうだったことは紛れもない事実だった。

皆も1度、1日ご飯も食べれず、家に帰っても朝に脅えて、布団でゆっくり寝ることを避けるように冷たい床で朝を待ち、形ばかりの栄養ドリンクとゼリー飲料で身を満たす。そして、人にはあまり公言できないような上司の言動や、胃液が体をよじ登って来る苦しさと、空元気でしか発言できなかった自分の偽りの素、こういう生活味わってみたら、いや、味わうことなんてしないで欲しい。

でも思い返せば沢山の良い人に出逢えたし、色んな経験があったから悪い生活ではなかった。本当に心の底から思うから、その人たちの顔が目に浮かぶから、こういう結末になってしまったことが悲しいし、悔しい。

こればかりは、俺が頑張れば良かったという訳でもない(そしたら心が壊れていた)、でも何かをどうすれば良かったのかなんて分からない事象だし、こういう「どうしようもない」って瞬間が人生は刹那的に繰り返されるし、それをどう咀嚼して次に繋げて、人生を紡いでいくのか、その様を今目の前にして、とても悲しく、とてもやるせない気持ちに身を投じている。

 

 

 

あと同じような感情に、ちょうど1週間前にも私は陥っていた。彼女を振ってしまったのだ。

 


これを「こうならなきゃ良かったのに」って言葉に当てはめるのなら、環境と見えている景色が違うことが、こうなってしまった原因だと感じている。在り来りなことだな笑

都会の褐藻に狂わせるような感覚と、その刺激的過ぎる感覚に、私の中の価値観は常人とは比べ物にならないくらいのスピードで過ぎ去っていた。そうなると人生観も大きく変わっていくのは必然で、年の差があったからこそ、それは尚更私の中で溝を感じ、もう傍にはいられないと判断するには、条件が揃いすぎてしまっていた。

 

 

 

こういう経験は大体重なるし、多分明日からはもっと目にも止まらないスピードで色んなことが嫌でも進んでいくと思う

だから、逃すべきではないことは目を離さずに、しっかり手を握って生きていきたい。

 


人生が一度きりなんて、なんでなんだろうね。

 

f:id:monogriri:20260224224530j:image

素晴らしい世界

「言葉の数が足りなくなった」

 


その対するものに抱いていることを測るには、それが1番分かりやすい物差しだった。

ふと思ったのがこれだった、言葉を好む私にとって、言葉を飲んでしまったり、言葉が反射的に出てこなかったり、嘘をつけず、変に真面目だからこそ安易な言葉が生まれてこない時は、だいたい自分が対面している事象に対して、そこまで何も思ってない時か、そのものに対して全く知り得てない時の2パターンだと思う。

こうして思うのは、昔はその事に対して、言葉が溢れてきたにも関わらず、今は何も浮かばないに等しいくらいに何も思わなくなってしまった、これに気づいたからそう思った。つまり「言葉のサイズ」から、そのものに対して自分が抱いている気持ちの大きさが測れてしまったのだ。

 


孤独って、なんでこれほどに心地がいい言葉なんだろうと思う。孤独を言い訳にしてしまえば良くも悪くも全て説明することも安易だし、誰もある程度の距離から近づこうともしない。無敵のバリア、これがあれば自分が必要以上に傷つくこともなければ、いわゆる自由に近い感覚に陥ることができる。けど、人は誰かと生きないと生きていけないし、誰かがいるから生きていけるという、孤独いう概念を真っ向から否定、いや、孤独と矛盾した生き物である。

それがどうかするのか、俺は孤独だ、そう言い切ることができればいいのに、そこも変に真面目だから人を完全に切ることもできず、真面目に生きている自分もいる。「真面目」って言葉も便利だな、お前そんな対した人間でも無いのに、上手く言葉で逃げようとするんじゃない。

 


生きようとする度に、孤独と他者を天秤にかけて、それを経験値にして歳を重ねていく光景、それは真っ当なのか知らないし、人を傷つけたくないとかいう逃げの心、いや、自分を守りたいがための心に言い訳をして、簡単に人を傷つけて、日々を過ごしている。

その上手くすり抜ける、抜けられてるのか知らないけどその匙加減だけは天下一品で、達観した冷たい目で過ごす。

 


珈琲を飲む時、仕事柄常日頃に傍にいるからこそ日常的には飲まない。飲むのは休みの日に限って飲むと、私は個人的に決めている。

だからその時の自分だけは素であると思っている。けど、どの自分が素なんてみんな知っているのだろうか。生きている限り、自分という概念は数珠繋ぎで延々と続くわけで、どれも自分でしかないのに、その時の自分だけが素であるなんて決めつけるなんて勝手すぎないか?まぁその自由さが、人間の身勝手さを表しているようで、滑稽でかつ、自分もその生き物でしかないんだなって気付かされる瞬間である。

 


「顔色悪いよ、ちゃんと食べてる?」

好きな表現だ、だけど、最近どうもこの一言を色んな人、会う人、関わりの濃い薄い関係なく言われてしまうことが多い。

 


人の幸せとか、楽しいとか、その肯定的な感情っていくつもあると思う。私はそれを自分の気に入ったもので繕うこともできるし、会いたい人にあって、その場を設けてその肯定的な感情に投じることもできる。けど、それは能動的なものであり、他責ではなく自責で行うことである。つまりは、誰かに幸せにしてもらうことなんて願うことでもないし、それを得ようとするべきではないということである。ただ、誰かからそれを得ようとした時に、いや、有難いことに他者からそれを与えられようとする時に、受け付けられない時がある。だいだい「あ、ちょっと、、」ってなってしまう。なんでなんだろう。

多分、与えられることに慣れてない、与えること、何かをし続けないと得られない、いわゆる承認欲求みたいなもので満たされてるのだろうと思う。

 


こうも捻りに捻れた心を振り返ったり、見直したりすると、なんか満足はしてるけど、寂しい気持ちはあるんだよね。理解や共感という、結局は他者の存在が気になっているからこそ、その空白が自分の中に生まれて、その葛藤と悩みの中から私は私に対しての反骨精神が生まれ、それを繰り返すことで、自分を今の自分という地位に築き、存在を成していると思う。矛盾とそのサイクルと、全てを繰り返すこと、不完全で、永遠に完全になることはないけど、不完全だからこそ常に追い求め、何かを延々と続けることができるのだと思う。ここは素晴らしい世界だ、とてもとても皮肉なもんだ。

 


しばらく私は素晴らしい世界が2つ、世の中には存在しているが、一方の世界に身を投じることになると思う。これはどうみても失敗なのではないかと思うが、不思議なもので全くこの道が私の選ぶ道なんだと納得してしまっている。

いつか、今の自分を後悔することもあると思うし、今の自分を肯定することもあると思う。そんな不完全で、矛盾ばかり起きる人生だからこそ、面白みがあると私は思うし、そんな人生を歩んでたいからこそ、私はまだまだ足掻きながら生き続けるんだと思う。それが不安定とか言われるかとしれないが、一般的な不安定は生み出さず、クレイジーな道をただ歩んでいくことを選び続ける、エキセントリックな人物像をこれからも憧れ、築きつづける悪い癖が続いていくのだと思っている。

 


indigo la Endを聴いているあなたは、どこまで曲の世界に自分のことを投じたことはありますか?別にindigoや音楽だけじゃなくてもいい、そのある事柄に対して、自分という概念を重ねるなり、自分の意志や考えを重ねて、その事柄を深く深くまで掘り下げることをした経験はあるか?今の私は「素晴らしい世界」をいかにどう自分の中で咀嚼して、そこから脱却するのか、それに日々悩んでいる、そんなの馬鹿らしいなんて一言を言われてしまったら、それはその通りなのだ。別にそんな重く考えなくてもいいのだが、今、自分に降り掛かってくる事が、全てその曲に重ねることで、より明確に見えてくるからこそ、私はそのような行為を行っているに過ぎない。「素晴らしい世界」はしばらく私の中の悩みの種になり続けるだろう。

 


また誰かと言葉の壁打ちを繰り返して、色々考えを深めるべきタイミングになっている。仕事でもそのディスカッションを行っているが、もし興味がある人がいれば、私に連絡をください。色んなインスピレーションという格好いい言葉に落とし込むが、それを今の私は求めています。

 


やっぱり誰を求めようとしている、私はやはり完璧主義なはずなのに、不完全な人間だ。

 

 

f:id:monogriri:20260214161414j:image

藍と生きる

 

indigo la End 15th Anniversary Special Series

 

 

「好きにならなきゃ良かった」なんて言いたくない、過去を全て肯定するつもりは無いが、今を否定する必要は無い。これは私が思っていることの1つである。けど、「なんで、どうして」と思うことなんて、生きてりゃ何回も起きてしまうし、避けることなんて生きてる限り無理なことである。だからこそ、何かを好きになった瞬間に、重苦しく考える必要はないのかもしれないが、何かを背負う必要はあると考えている。

 


だからこそ、この音楽を好きになった時、当時は何も考えてなかったかもしれないが、歳を重ねる度、何かを重ねる度に、音楽に対する想いは大きく苦しく重くなり、それが積み重なったことで、今の私という人間と、その音楽が人生に寄り添ってくれたという事実が生まれた。

 


その事実は幸せなのか、もしくは不自由にしてしまっているのかもしれない。もっと上手く生きる方法があるんじゃないかなんて、今も思ってる。だけど、このライブという瞬間に立ち会い、その音楽に向き合うことで何かを得ようとしている時点で、嫌でもその音楽は私の人生に絡みついているのだろう。

 


あの時こんなことがあったから、なんて掘り出したらキリが無いし、もう古びてホコリまみれの記憶でしかない。だから、音楽が何かを呼び覚ますことはなくて、ただ、そこに残るのは、その瞬間に起きた過去と、それを経て辿り着いた今だけである。

 


もう上手く言語化は出来なくなったし、むしろその時の記憶なんてほぼ残ってなくて、あるのはそういう経験をしたのかもしれないという感覚しか、今の私には残っていない。だからこそ、昔以上に音楽に入り込むことは出来ないだろうし、あの時のように音楽にしがみつこうとすることは、もう無いと思う。そういうタイミングになってしまったのだろう、情景に重ねて自分に対して哀愁を感じるだなんて経験は、もう起こることはないんじゃないかな、それがいいのか悪いのか分からないけどさ。

 


そうやって、この上手くバランスが保たれてるのか分からないが、辿り着いたこの瞬間に、このindigo la Endとこれまでを向き合った1年が終わろうとしている。やっぱり寂しい、あのぽっかりと空いてしまった何かを、音楽で必死に繋ぎ止めて、埋めようとする感覚、あれは刺激的で何にも変え難い経験だと思う。

 


麻薬のように、いや、魔法のように人を惑わし、自分をなにかの主人公なのではないかと勘違いを生み出す経験、あれは淡さと若さゆえの苦い記憶である。やっぱりそういうことを重ねていかないと大人になんてなれない。

 


あの時、あの瞬間の積み重ねがその人を成す要素になる。だから、こうやってこの人生をindigo la Endに染められ、哲学のように生きてきたことは、自分を正当化するための必須要素であり、これからもその事実は変えられないと思う。

 


やっぱりindigoの曲の情景は目に浮かぶし、言葉にし難い感情も理解できる。そうやって生きてきたからこそ、今の私という存在があり、それを認めようと必死に生きている。そのための燃料として、この音楽は必要不可欠なのである。何にも変え難い私と藍色の関係性、青く染まったことが正解であることを証明するために、私はこれからももがきながら生きていくことを私に求めていく。

 


この1年が終わったこの瞬間に、私はどういう選択をするのか分からない、もしかしたら、もう終わりにしてもいいと感じることもあるかもしれない。それはそれで肯定し、否定もしない。ただ、あるべきなのは私が私として生きたことを否定しないこと。

 


愛に満ち足りてなくても、藍には満たされた人生であることを誇りに思うべきだ。

 

 

 

そして、今、終わってしまったこの瞬間、まさか「素晴らしい世界」が再び世に解き放たれて終わりを告げるだなんて、誰が予想した?

この曲に込められた悲壮感と、現実と理想の乖離、その埋められない苦しみと、ただ身を削るだけの日々、誰かといる「素晴らしい世界」との別れを苦し紛れに告げる曲。彼は「置き忘れていたものを回収して、次に向かう」と言った。彼は、その器用さを手にして次に向かおうとしている。長い間、ファンをしているとなかなか苦しい時期もあった。だから、そうやって自分で見定めながら向き合おうとする姿勢は、なかなか心に来るものがある。

 


私にとってindigo la Endとは、人生であり、最大の味方だと思っている存在である。

これからも、その藍色に染まった音で、私の人生を彩りを加えさせて欲しい。

末永く、これからも、本当に、

 

f:id:monogriri:20260131214212j:image

快楽漬

indigo la End「幸せな街路樹」

 

 

 

 

やっぱり、あの衝動に駆られてしまった感覚や、あの喪失感が今の私を成しているらしい。

 


気づいたら25歳になってたし、あと半年もすれば29歳で、、なんて事を続けていけば、いつかは私の死に辿り着くことも、薄々感じ始めてきたこの2025年

どんな年だったとか、こんな年だったとか、そうやって各年を振り返ることで、自分は自分自身を構築するための手がかりを失わないようにしているのだと思うし、裏を返せば私は、気づかないうちに自分のことを失ってしまうような場所に置かれていることを裏付けるようなことである。

そんな刺激的で排他的で支離滅裂な日々が、この2025年という年を、彩ることで目も当てられないくらいにハチャメチャな色になった。

そのくらいしないと生きた心地がしない、なんて思ってて、「ロマンスがありあまる」の歌詞や、「オトナチック」の歌詞にあるように、多分かなり生き急いで何かを追い求めてるんだと思う。ただ、これには明確な問題点があって、人生のゴールを「生き切って死ぬ」にしているが、それをなす為の具体的な通過点が全くないのだ。無いからこそ、日々をハチャメチャに、傍から見たら有り得ないくらいに入り乱れた破滅的な環境に、自分を自ら投げ打っている。

まるで、ゴキブリの罠にわざわざ入り込む黒い異物そのものだ。それ以外かもしれない。

そうやって、自分を生きてるだなんで表現するなんて、もしかしたら自己満足で、かつ騙し騙しの薬物のような日々かもしれない。

そう思ってくれば、自分の人生を大切にしたいはずなのに、雑に扱っているのだろうと思う

気づいたら、傷だらけで何も出来ない自分だけが残って、なにもなくなってるかもしれない。

ずっと刺激を求めて、その快楽に自分を浸すことで、自分を騙し騙しに雑に生きてきた。

そのことに、少し気づけた気がする、もう年末なのにね。

その快楽物質から脱却する、いや、できるのか

それが普通になってしまった私に、この日々のドーパミン中毒にやられてしまった私に、何気ない日常の良さを感じる事が出来るのだろうか。ただ、やっぱりさ、人に優しくとかしたいなら、まず自分のことを出来てなかったら人になんて出来るわけないじゃないか?みたいなやつあるじゃん?多分それだと思うんだよね。

だから、あと半分の20代は、それを見直す瞬間にしよう、しようね、絶対に

 


みんな、良いお年を

 

 

 

最後に今年の振り返り写真と、思い残ってるライブのことでも呟こうかな。

やっぱり「素晴らしい世界」だね。

もう、あの衝動を超える夜はないよ、今年はindigoを通じて、自分の人生を振り返ることができたとか、何となく思ってる。

あとは「幸せな街路樹」だけ最後のピースとして加わることができれば、もうこの1年は完成すると思う。でも不完全でもいいなって思ってるし、藍色に染まった私はこれからも続いていくよ。

 

では、最後に写真だけ色々投稿

 

f:id:monogriri:20251231224237j:image
f:id:monogriri:20251231224151j:image
f:id:monogriri:20251231224229j:image
f:id:monogriri:20251231224223j:image
f:id:monogriri:20251231224214j:image
f:id:monogriri:20251231224209j:image
f:id:monogriri:20251231224145j:image

f:id:monogriri:20251231224413j:image
f:id:monogriri:20251231224345j:image
f:id:monogriri:20251231224459j:image
f:id:monogriri:20251231224431j:image
f:id:monogriri:20251231224417j:image
f:id:monogriri:20251231224425j:image
f:id:monogriri:20251231224444j:image
f:id:monogriri:20251231224403j:image
f:id:monogriri:20251231224452j:image
f:id:monogriri:20251231224353j:imagef:id:monogriri:20251231224649j:image
f:id:monogriri:20251231224659j:image
f:id:monogriri:20251231224720j:image
f:id:monogriri:20251231224704j:image
f:id:monogriri:20251231224715j:image
f:id:monogriri:20251231224824j:image
f:id:monogriri:20251231224724j:image
f:id:monogriri:20251231224709j:image
f:id:monogriri:20251231224737j:image
f:id:monogriri:20251231224730j:imagef:id:monogriri:20251231224826j:image
f:id:monogriri:20251231224837j:image

 

f:id:monogriri:20251231224845j:image