indigo la End 「蒼き花束vol.3」
人生は別れだ 人生は出逢いだ
私の話を少しさせて欲しい。
indigo la Endと私はかれこれ7年の付き合いになる。これまで色んな景色、感情をこの蒼く、繊細で優しく、時には尖り、時には苦しむ、そんな人のような、言ってしまえば川谷絵音という人間を投影したような音楽と共に過ごした。
そんなindigoと初めてライブで出逢えたのは、
2020年11月14日 忘れもしないコロナ渦中の「夜警」神奈川関内ホール公演だった。
つまり、初めてのindigo la Endのライブを味わえた場所と、学生最後のindigo la Endのライブは同じ場所、横浜 みなとみらいだった。
私にとって、みなとみらいという場所は思い入れのある土地だ。私は神奈川出身で、よくみなとみらいには出かけたことがある。いわゆるそういうお出かけだ。その度に色んな感情、考え、出逢いと別れを繰り返した。どれもこれも今となれば遠い昔のただの記憶なのだが、これまでの自分の人生を思い返すキーは眠っていて、私の原点とも言えるかもしれない。
だから私は今回のライブは私なりの整理をして、覚悟とかカッコつけた言葉を添えるのは何かこそばゆいのだが、それなりの気持ちを胸にライブを迎えた。
「人生は別れだ」
そうだと思う。
私は今までどれほどの人と出会ってきたのだろうか、分からないが、今交流してない人、あまり願ってない去り方をした人、色んな人がいる。別れはその時の自分を成すものを、1つ削る作業である。その別れが良いにしろ、悪いにしろ、削るのだから心が締め付けられる。
そこに生まれる名も無き感情。
それを言葉として形にする。言葉、そう言葉。
でも言葉にしたくても出来ないのが、言葉の難しいところ。
だから歌がある。歌詞には言葉の想いを隠すことが出来る。色んな隠した想いの方舟が歌。
曖昧な感情と言葉と歌詞の「間」
「間」と表すれば分かるだろう。これがindigo la Endの奏でる音楽だと。
ライブが終わって思うことは、ただ1つ
「人生は出逢いだ」
そうだ、忘れてはいけないこと。
indigo la Endに出逢えた。色んな人に出逢えた。今の自分に出逢えた。そう、何もかも「出逢う」という素敵な、いや出逢うことが素敵なことでなければなんなんだ。人というこの世界にうじゃうじゃいる存在の中で、良いにしろ悪いにしろ、その人とその人が交わる瞬間が「出逢い」だ。
その奇跡と言葉にして良いことに対して、良い言葉以外の単語の何を当てはめればよいのか?
この地、みなとみらいでindigo la Endを通じて色んな感情や場面、考えを思い返すことが出来た。出逢ってきた。別れてきた。そして今を生きている。これから先もこのサイクルは変わることがない。いつかは負の感情に追われてしまうだろう。だけど、それはいつか「何か」に変わる、と思う。
負と負を掛けたら正になるだろう。それと同じと信じたい。
私にとってindigo la Endに出逢った曲は
「夜明けの街でサヨナラを」だ。
そう、サヨナラを歌った曲。
1度だけの出逢いも、一生の出逢い。
私は時に、負の感情によって底へと沈められてしまう時が多々ある。
それは、ちょっとしたことから自分で陥れることもあれば、誰かのちょっとした言葉、もしくはちょっとしたことではないかもしれない言葉、そんなのに出逢いたくなかったと苦しくなって、まぁいわゆる絶望だ。
だけど、そう、底が見えたらあるのは、平行に続く道か、上か、それだけだ。
その負の出逢いは、正の方向へ進ませる。必ず。
だから、負けるな、一言自分に言い聞かせたい。勇気を、ほんの少しの耐えと、その時生まれるほんの少しの勇気で、そこに辿り着くまでに出逢うべきものは気づいているだろう。
あの日、indigo la Endを勧めてくれた誰かの「夜明けの街でサヨナラを」の一言が、
こうして色んな事への出逢いへと広げてくれた。
人生は別れだ 人生は出逢いだ。
これからも藍色に出会いに行く。
心の中に「蒼き花束」を抱えて