蒼に藍を束ねた。

 

 

 

indigo la End 「蒼き花束 vol.3 」

 

 

 

 


セットリスト

 


レナは朝を奪ったみたいだ

想いきり

さよならベル

渇き

邦画

雫に恋して

夜行

さざなみ様

夏夜のマジック

彼女の相談

チューリップ

心雨

アリスは突然に

ヴァイオレット

名前は片想い

鐘泣く命

夜明けの街でサヨナラを

名もなきハッピーエンド

夜の恋は

インディゴラブストーリー

プルシュカ

 


知らない血

Unpublished manuscript

 

 

 

私がindigo la Endと出逢ったのは、2016年の秋のことだった。しかし、初めて生で彼らの音楽に触れられたのは2020年、何もかもが探り探りの中演じられた「夜警」場所は横浜 関内。

あの時の触れた感覚と、感動は忘れられないと思う。それから月日は3年過ぎ、私は学生という身分を卒する時期となり、indigoと共に生きた学生生活と別れを告げることを意味していた。

 


私にとって横浜 みなとみらいという土地は何かと縁があった。

先程述べたように初めてindigoに触れられたのも横浜、そして、色んな出逢い、感情、考えに触れたのも横浜 みなとみらいだった。

あちこちに思い出の痕跡が残るみなとみらい、そこで学生最後、もしかしたら次に会えるのは遠い先かもしれない、そう思ったからこそ今回の「蒼き花束vol.3」は今までのライブの中でも、気持ちが高まっていた。

 


「蒼き花束」は今回で3回目、特に前回中野サンプラザで行われた「蒼き花束vol.2」は記憶に残るファンも多いと思う。なぜなら「素晴らしい世界」を封印したライブであったからだ。

「素晴らしい世界」が絵音さんにとってどんな曲か、私たちには知る余地もない。

ただ、彼がこの曲を大切にしていて、そしてそんな曲をもうできない、やらないと告げた大切なライブ、indigoを愛する有識者なら知っているこの事を背景に、蒼き花を掲げたこのライブが何か特別なものである、そう感じざるを得なかった。

 


そして、本編を終え、一夜を超えて今日を迎えた。

今残る蒼き花の残り香は美しく、切なく、繊細で、それはどこか川谷絵音という人物を指しているようで、それに触れられた、いや、今も触れられているのかもしれない、その感触の不思議な心地の良さに包まれている。

 


今回は武道館のセトリとは対照的(武道館もコアと言えばコアだが、)にコアなセトリ、いわゆるグレー層には届かなそうな、本当にindigoを聞きに来た層に届くようなセットリストであったと思う。

indigo la Endは近年大衆性を帯び始め、それは「名前は片想い」の世間への浸透率が示していると思う。そんな中、彼らは「蒼き花束」というindigo la Endの芯の部分、そこを表してきた。そこに彼らのこれまでと、これからの自分達の歩幅で、ゆっくりとゆっくりと進んでいく、それを示しているとも感じた。

 


ここからは各楽曲 ピックアップしたものについて私情を交えつつ言葉にしていきたい。

 

 

 

まずこの曲に触れなければならないと思う。

「レナは朝を奪ったみたいだ」

インディーズ時代の「渚にて」に収録されているこの曲、最後に演奏されたのは2020年の中野サンプラザと記憶している。これまでの歴史を見てもライブで演じることは少なく、この曲から始まることが意味すること、ましては前回の武道館「藍」で「sweet spider」から始まったあの感触を味わっているからこそ「今回の蒼き花束は普通では無い」そう感じる、いや感じてしまうほどの楽曲。

音の「美」。indigo la Endについて語る時、言葉の美しさと共に、6名で奏でられる音楽の質の良さに触れることが多い。「渚にて幻」「実験前」など圧倒的演奏力で押される曲は多い。そんな曲の1つである「レナは朝を奪ったみたいだ」一言、飛ばしすぎた。だが、彼らなら許される。それは13年積み重ねてきた音楽センスがあるからだと思う。

 

 

 

「さよならベル」

2曲目「想いきり」についても触れたい(川谷絵音が間違えたことに関してもw)が、ここはやっぱり「さよならベル」への思いを形にしたい。

この曲を前回演じたのは「ナツヨノマジックvol.2」その前は「夜警」と最近はよくやる曲の1つだが、その前はかなり間隔があき、なかなかやらないが、人気楽曲の1つであった。

私が初めてindigoに触れた「夜警」、そうそこで触れることが出来たのが「さよならベル」だった。

キャッチーにも聞こえるサビのフレーズ、indigoを知り始めた高校生の私にとっては入門としてちょうど良い、今からしたら昔から聞いている曲の1つであった。私にはかつて長年寄り添ったパートナーがいた。彼女にもindigoは聞いてもらっていて、確か好きと言っていた。そして、その相手は横浜 みなとみらいに住む人であった。「あれからここに来る度 君を思い出しては泣いて」いや、もう過去の記憶すぎて思い出すこともない、薄れたかつての記憶。ただ、ここが示す場所で、初めて触れられた曲と場所と全てが噛み合い、「さよならベル」が心の奥底に届いていたのは昨日の感想であった。皮肉なことに、この後に演じた「心雨」

「この街で初めて愛して、この街で最後に愛した」その言葉に触れるこの街も、みなとみらいだなんて、本当に皮肉でしかないと思う。

 

 

 

「邦画」

泣いたり、笑ったり、

今作の冒頭は大失敗で幕開け

思い出と私は違う 今だけが華やぐ

 


そう、この曲もこの地と縁があった。私は1年ほど前、自分で底辺に落ちていた。それはいつかのブログで触れたため割愛するが、その渦中に訪れることが多かったのもみなとみらいだった。「邦画」は撮影地が横浜ということもあり、作品としても横浜の地に縁があったが、私にとって、あの頃を思い出す「邦画」にはあの土地が切っても切り離せない場所であった。

リリースから1年たったが、私の、いや今の私のアンサーソングの一つであるこの曲は色褪せることなくえんじ色で「泣いたり、笑ったり」これは今回の「人生は別れだ 人生は出逢いだ」この言葉との繋がりを見えてくる。相反する言葉は、時に同じ意味を成すことがある。相反するものがあるからこそ意味を成す。違うから正しい。両方があるから良い。どちらかだけでは無い、どちらもあるから有る。

だから全ては廻っていく。今を華やがせて、

 

 

 

「さざなみ様」

生きている中で、「これぽっちなのか、自分は」は悲観的になることはある。その度に自分の幼さ、成熟したと思いきや、それはただの主観であり、根拠の無い若気の至り。

大きな物事ばかりに焦点を当て、小さな物事、言葉を借りるとしたらさざなみには見向きもせず生きる。それがどれほど愚かなことなのか、気づきもせず、いや、気づいてるけど見向きもせず生きる、だから投げ捨てようと価値を見出そうとしても、価値などないと見向きもされない。そんな時、ふと思う「やっぱりまだ生きてみようかな」その瞬間にどれほど救われてきたのか、その繰り返しで今を成す私にとってこのさざなみ様は特別であった。このターニングポイントとなるあの場で拝むことができたのは、これから先「やっぱり生きてみようかな」と繰り返すための糧としたい。

 

 

 

「彼女の相談」

「夜に魔法をかけられて」今となっては名盤と呼ばれるこのアルバムも10年前には業界の荒波に沈んでいた。ただ、彼らはこの古びた名曲たちを大切にしてて、絵音さんも昨日そのような言葉を残していた。その曲の中で大切にしている曲の1つにこの曲がある。何故大切か、そんなの言ってしまえば同じ感情になったことがある、そういえば分かるだろう。

ブログであるから私情タラタラで言葉を並べさせてもらうが、好きなのに好きでなくなったり、付き合いたいのに離れていくあの感覚、言葉と思いは溢れるくせに、それに適した単語はない。それを形にするのが歌というものであり、私はそれを「彼女の相談」という形にしていた。いろんな空、光景、色、見てきたが、複雑な思いが交差する日にはやっぱり「彼女の相談」を大切にしたい。それは12月の晴れでも曇りでも雨でも雪でもなんでも、

 

 

 

「ヴァイオレット」

あれはぴあフェス、夏も終わりかけて、ささやかな暑さを帯びた夜、あの野外特有の生々しさと、特別感のある仮説ステージ。

そこで響く聞いた事のないメロディー、あ、これがあれなのか、そうそれは蒼さに混じった赤みを帯びた「ヴァイオレット」

あの優しげな口調とは真逆なかつての言葉を添える。

紫に染まったホールに流れる「ヴァイオレット」という言葉が一番似合う音楽。

indigo la Endの先端には色んな音楽が存在している。この曲は他とは違う曲の1つ。紫の先にあった感情は秘密。

 

 

 

 

 

私は安堵した。

少しばかり、indigoに対して感情が揺らぐことが最近多々あった。

それはこの他人に評価されるばかりで息苦しい世の中だから発される言葉ばかりであった。

ただ、昨日も絵音さんは言った。

自分を大切にしたいと、自分の話を聞いて欲しいと。私は確かに川谷絵音という人の影響を受けている。それはあの人になりたいと思う時もあるが、今の自分、それは音楽を聴き、色んな経験を経て成した自分であるが、それは紛れもなく藍色に蒼く色を付けてもらっているからこそ、「今日も明日もこれからも生きていこう」と思えるのだと思う。indigoがあるおかげで今、生きていく自信が持てる。昨日も大切な言葉を沢山貰った。それを私なりの解釈で受け取って、これからもindigo la Endという終わりなき音楽を聞き続けていきたい。

 

 

 

 


「蒼き花を束ねて、それを掲げては下げて、だけど生きものとしての跡を残すために、ありのままの姿を、蒼さを重ねて、それはいつの日か藍色になり、indigoと言葉を変えて広がり、独りだったものがいつの間にか束になってた。それのひとつになれているのだろうか、なれなくてもいい、でも思い出して欲しい、鮮やかに、時には激しく、時には虚しく、でも咲き続ける蒼き花束がそこにあることを。」

 

 

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