8割と言わずに夜中の3時までも愛されると思いたい。

クリープハイプ アリーナツアー 2023「本当なんてぶっ飛ばしてよ」

 

 

 

 

 

狂気的で鋭く、時に凶器になり得る存在。

それが「言葉」だ。

ただ、我々は日々、言葉を交わす。そうして交じることで二つでしかなり得ない人が一つになる。そう、言葉は無くてはならないもの、そして、時に救いになるもの。

 


尾崎世界観のことを時に「怖い」と評す人もいる。私も時にそう表現する時もある。ただ、それはあの尾崎祐介が、等身大の自分を音楽というフィクションを通じてありのままの「言葉」発し、それを私たちは受け止める。そして、何気ない日常を当たり前に出来るありがたさ、それをクリープハイプを聞いて噛み締める時もあると思う。それがあの大きなステージにはあったと思う。

 


このライブのセットリスト、私にとって何かを思い出させる。いや、何かと誤魔化す必要のないただの本棚にある記憶だが、形にはなれない、なることがもうない何か、それがふと少し思い出しただけ、そうそれだけ。

クリープハイプの過去から現在まで伝える楽曲を幅広く披露したと思う。それはあの場にいた太客にも同じことが言えると思う。過去と現在と、そしてその先、全てと繋がれる場がライブという場所には構築されると思う。その時に生まれる「感情」と上手く形に出来ない「言葉」

できないからこそ存在して、できないから歌がある。それは側にクリープハイプがいて欲しいと感じる思いの根底の1つなのかもしれない。

 


クリープハイプは下ネタが多い。

これは間違いでは無い。歌詞ででかでかと「セックス」という言葉を隠す気のない表現をするのだから。

だが、私はそんな所も好きだ。別に下ネタが好きだからという訳ではない。人が隠そうとする言葉をあえて使い、それを歌にする。そうすればストレートだからこそ、分かりやすく、人間の荒さや悲しみ、切なさをクリープハイプという形で伝えてられているから、だから私は尾崎世界観の書くクリープハイプが好きだ。

そして、私はライブで感じたことが1つある。それは割と親子で参戦する太客が多い事だ。これが「お?」と反応する点なのは理解出来るだろう。分からない人はかつて自分が子供の頃、ドラマでキスシーンや濡場が表現される時、家が凍りついたような空気が流れた経験などを思い出して欲しい。そうなる場面が多いであろうクリープハイプのライブに親子で参戦する。これは私は凄く良い事だと思う。(まぁ私はしないと思うが)タブー視することなく、その言葉を受け止め、ありのままを親子で共有することが出来るその関係性、私は憧れはしないが、素敵だと思う。

 


ここまで私の言葉を残してきたが、言葉は目に見える。だからこそ、人に与える影響は大きい(人間の情報の多くは目から手に入れるというのを聞いたことがある)。それを音に乗せて奏でる。時に「怖い」と感じてしまうが、それだけ真っ直ぐ、いや時に、いや常にか、常にひねくれて素直になれないフロントマンが、真っ直ぐに言葉を吐き出す。そんなバンドが好きだ。

 

 

 

 

 

 

死ぬまで一生愛されると思ってて欲しい。

 

 

 

 

 

 

私たちはズレながらもちょっとずつ前に進められるから。

 

 

 

 

 

 

アリーナツアー 2023「本当なんてぶっ飛ばしてよ」

 


身も蓋もない水槽

しょうもな

一生に一度愛してるよ

君の部屋

月の逆襲

レーマンのせいにする

キケンナアソビ

ボーイズENDガールズ

明日はどっちだ

傷つける

ナイトオンザプラネット

本当なんてぶっ飛ばしてよ

一生のお願い

チロルとポルノ

愛の標識

ウワノソラ

週刊誌

火まつり

社会の窓と同じ構成

HE IS MINE

ポリコ

おやすみ泣き声、さよなら歌姫

イノチミジカシコイセヨオトメ

二十九、三十

 

 

 

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