例えば、
四季をどう捉えてるだろうか。
私は春と夏は上手くいかない。なぜなら、何かを始めることが多いこの季節、ファーストコンタクトを取る事が苦手な私は、なかなかこの時期、関係性を築けずに悩む事が多い。
で、秋と冬だ。
個人的に、暑さに弱い私は(夏生まれであるにもかかわらず)この季節の方が生活しやすい。それも影響しているのかどうか知らないが、大体この時期だと物事も円滑に進む。
何か大きな成功を収められたのも、この時期の出来事が多い。
そんなことはとりあえずどうでも良い。
この3ヶ月、私はどう生きてきたのだろうか。
何故このような議題が浮かぶのか、それは私が今年から社会人として、社会に身を投げ出したからである。
で、思うことは1つ。
私は私という「個」を尊重して生きたい、と。
これは、私が家庭の中で、父の作った借金を原因に、父も(こればかりは自業自得としか言い様がないと思うが)母も、朝から晩まで働いて、働いて、働いていた姿を見てきたからこそ、生まれた考えだと考えている。
金を稼ぎ、誰かの為に働き、それを繰り返す。
私が社会、他者への貢献心が無い訳では無い。
私のやりたい分野で、私と、相手の双方に利益を生みつつ、稼いで生きていく。
そうしたいと思い、私は今の道を生きている。
ただ、現実は甘くないと実感している。多忙な程の毎日サービス残業を繰り返し、半日以上の時間を費やす労働。
自分の経験の為、地方に投げ出してより感じるようになった「東京」という街での暮らし。
生きていく為に必要な、金、環境。
組織の中で見えてくる暗い部分、そして、それを押し込んで働く現実。
仕事は良い、やりたい事をより現実に、自身の実力を付けるための段階を迎えていると感じている。
少ない時間の中でなんとかして、心の余暇を作り出している。
が、これでいいのか。自分に適した生き方はこれなのか。
「個」を尊重しすぎたら、自己中的な存在を作り出してしまう。
それは避けたい。そう生きたい訳では無い。
ただ、「生」を全うするためにも、自分に最適で快適で充実したものを目指さなければならないと思う。
それがまだ分からないから、見知らぬ慣れない土地で、生き急ぐ必要があると私は思っている。
少なくとも25までには見定めたい。
20代という1番若く、動ける時期を、仕事だけで終わらせたくないと、ココ最近強く感じる。
ただ、仕事も私の望むものでありたい。
仕事と、生活と、自分自身の価値と、環境と、選択したいものが多々あるからこそ、優先順位をつけて選択しなければならないのかもしれない。
ただ、私はこの点に関して強欲である。
全て、理想であって欲しい。
明確にどうありたいのか、形にしないといけないと思う。
ただ、それを明確な形に出来る訳でもない。
生きるとは難しい。
だが、価値を高めて、生きることを目指して、「死」を迎えること。
それは面白い事だと思う。
優先順位か、優先順位なんて付けなくて、全てを優先したい。
なんでその生き方を選んだのか、話を聞いてみたいもんだな、色んな人に
また明日が来る。