Laura day romance 「リグレットベイビーズ」
何気ない言葉を、さり気なく残す。
この何も変わらない日常のサイクルの中で、私は今生きている。ただ、それを笑うような輩がいる事も事実である。それがなんだ、私は私が望むように生きる道を選びたいし、これが私なんだと肯定したい。そんな事を考えてしまうくらいに私は自分に自信が無い。自信、つまり「自分を信じる」という事だが、私は信じるに値しない人だと自己嫌悪の塊たったりする。
何故そう陥ったのか、原因は分かる、この20年間で私は数多の負の言葉を浴びてきた。そういう対象になりやすかったのだろう、その対象になれば、自分に矢を向け続ける人間が完成する。そうさせた人間達は自覚した方がいい、お前達は人殺しだ、その人の感情の幅を殺した、その贖罪を背負って生きるべきだ、自覚しろよ。と、ただ、そんな言葉を吐く私も、罪を幾つも背負っている。私の吐き出す言葉も、人に対して刃を向く。いや、裂くなんて優しいものでは無い、毒だ、人を犯すくらいに、凶悪な毒を私は常に吐き出している。その自覚をしているにも関わらず、私は常に毒を生み出して、人を苦しめながら生きている。
こんな罪と罪が重なり合い、ぶつかり合い、調和する事が決してない世の中で、私は息をする事を求められている。なんて、苦しい事なんだ。だからこそ、自分を信じる事という事か改めて大切なんだと思う。自分がそうなれる、価値のある、そう思う事を成せれなければ、この苦しみの波の中を乗り越えられない。こうやって生きる事の難易度を、私は何故か自ら上げている。ただ、そんな人生の荒波を生きる事は、興味深い事だったりする。いつも、この結末に落ち着いているような気もするが、やっぱり私は、こうして抗いながら、自分自身を崩さずに生きる事を辞めたくないのだろう。自分を言葉にしたら、汚らしい恥晒しのように感じるが、こんな自分も受け止めて、肯定して、そして肯定したのなら、それをどう磨いて、何かを加えて、私を更なる舞台へ押し上げれるのか、それは私にしか出来ない演出と台本。
私はこうして、自分の思う事を言葉に残している。けれどやはり、この傍に共に言葉を残せるような人間が欲しいなんて強欲に思ってしまう。1人で生きる術と、誰かと居る術は知り始めている。なら、誰かと寄り添う事を知るべき段階にいると私は思う。それがまだ足りない。
私はこれからどんな出会いをする?
今までの人生を振り返って、私は下手なドラマの脚本より、面白い演出を演じられていると思う。そんな舞台に誰か興味を持ってもらえないでしょうか。私は、まだ生きる。自分を苦しみの渦に閉じ込めながら、私は私を演じる。
そんな自分を褒めてあげる夜にしたい。