夜中の3時。

クリープハイプ 「手と手」

 

好きな時間帯はあるだろうか。

朝が好きな人、夜が好きな人、様々だと思う。

私個人が思う好きな時間帯がある、それは深夜2時から3時の時間帯である。

私は夜遅くまで起きると体にガタがすぐ来るので夜更かしは好きではない。ただ、寝たくない、嫌だと苦しい夜を過ごす時が多々ある。この時間帯がかけがえのないものになってる時もあるのだが、この時間帯に自分の中を回りくねる思考の数々に苦しめられたり、自分に失念し、絶望し、世界の片隅に追いやられる感覚に包まれる。ただあの時間帯に希望を見出すのなら、音楽という要素しかないと私の中では結論づけている。音楽は救いだ、自分を救うひとつの正解である。そうやって朝を迎えようとしていく中で眠りにつく深夜3時。この時間帯は何か変わったスパイスがあると思う。雰囲気映えか?それとは違う、人の脳は夜になると一日の疲れから思考が鈍くなるらしい、そのせいだと思う。そんな回りくどい話をしたい訳ではないのだがな、ここに言葉を記そうとしたきっかけは、別にきっかけもクソもねぇが、ただこの「深夜3時」いや「夜中の3時」がどうしようもなく自分の中で特別な時間帯であることは間違いない。一つ挙げよう、例を。

 

それが「手と手」

 

この曲はクリープハイプの曲の中で1番大切な曲だと思う。理由はたった1つ、ここまでクリープハイプに沼らせるきっかけになった、夜中の3時に救われたからである。鳴り響く楽器の音の中で、尾崎世界観の声が届く、届くべきところに届く。その言葉の一つ一つが限りなく奇跡に近いようなかみ合わせで全てを包み込む。

情けなくて、クソで、ゴミで、底辺で、どこかにでも吹き飛ばされたらいいような自分を包み込む。その中で生まれた感情に自分を肯定させ、明日を、朝を迎えさせる。そう、夜に浮かばれない人を朝へなんとか送り出すための曲。

 

初めてこの生の声を体で受け止めた時、涙で目は開けれない、体は硬直し、震え、この目で見届けたいのに見届けられない、この自分の情けなさに怒声を浴びせたいが、無理である。こんなの受けきれないほどの包容力が浄化させようとしてくるからである。別に綺麗になろうという訳ではない、浄化に近い行為、洗練とでも言おうか、夜中の3時というワードを中心とした、どこかへ誘う。

 

 

言えない思いと、溢れる想い。

言葉にすることは滑稽、形にしない美しさ、曖昧だから成り立つ、半端と半端だから完璧になる。

 

夜も深ける、朝を迎えるために目を閉じたい。

 

絡めた先にある。

 

底辺で底で、ありのままで、感情のままに。

 

それが自分の気持ち。誤魔化せない思いと重荷。

 

言えない方がいいけど、言うのがいい。

 

 

 

 

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