賛美歌

indigo la End 「夜の恋は」

 

好きにならずにいたかった

あなたを知らずにいたかった

 

そんなの甘えだろ、一線超える恋愛という行為をしようとするならば、その重荷を背負う覚悟、忘れちゃいかんと思う。って私は思うけど、世間一般は淡い思いに惹かれていくからこそ、そんな重たい考えを常に背負いながら生きる人間なんてそんな居ないんじゃないかって私は思う。

自分の思いとか考えを配慮なくぶつけ合う恋人という関係。これは友人にはできないだろうし、人によっては家族にすらできたいと思う。そんなことが簡単に出来てしまう口頭だけの関係なはずなのに、この世の中で1番力を持った関係、それが恋人という存在達だと思う。

相手に何かを望む、これは相手を自分のものであり、自分の一部であるからこそもっと自分のために自分だけにあって欲しいと心の底から相手の全てをねだってしまうから生じる感情であると思う。まぁ全てが全て叶えられる訳では無いし、だからこそ前向きな妥協をする勇気と、相手を傷つける可能性があったとしても、それを全て伝えて相手と共に背負って進んでいく覚悟。

この2つの覚悟が大切なのかなと、固い言葉を並べて私は吐き出したい。

 

嫉妬させてよ

それくらい好きにさせてよ、させてよ

あなたを見るたび痛くなってしまうくらい

好きにさせてよ

 

 

この歌詞の解釈、幅が広すぎて川谷絵音がこの歌詞を残した瞬間にどんな思いだったのか、流石の一言であると思う。

 

1つとして、あなたことを嫉妬してしまうくらいに、私を好きな感情にしてくれ、と相手に願うような歌詞であること。

次に、あなたのことが大切で大切で仕方ないからこそ、あなたに嫉妬してしまう。でも愛しているからこそ、それくらい勝手にしても良いよね?という解釈。

あなたを見る度に好きで好きで仕方ない気持ちにさせるくらいに好きにさせてくれと思う解釈。

愛しているからこそ、自分を苦しめてしまうが、その想いが溢れるほどに好きになってしまうから、そうさせてくれという解釈。

 

愛や好きや恋。

 

これらの言葉は人を文学的にも深くに陥れる要素があり、それを評した曲、この「夜の恋は」のような曲もこの世界には溢れている。

 

だけど、この曲はそれらとは違う。

それはここでは書かないが、分かると思う。

 

 

そしてこの曲が好きな人は、それぞれ背負ってる「なにか」があると思う。

それは良い要素なのか、悪い要素なのか、それは各個人の見解次第だと思う。

 

だけど自分は好きになった時に嫉妬するのは、自由だと思うし、だって、好きなんでしょ?それくらいしてしまうじゃないか、と。

1人で闇に落ちるのも良いが、2人でどうにか進もうとすることが出来るのであれば、その希望が尽きる瞬間まで信じ続ける。

 

好きにならなきゃなんて思ってしまう愛はないと思う。

その感情は自分を救う。

それだけあなたは自分を信じて生きたと思うから。

 

最後の言葉として上のような言葉を残そうと思ったが、これは自分に当てた言葉だと思う。

だけど、別に今が寂しいだけで、これから先には道が永く続いてると思うから、こう思いを馳せるのは、どうしようもない感情の行き場、ただそれだけです。

 

 

 

 

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