indigo la End 「素晴らしい世界」
悲しいよね。
人によって「悲しい」という感情や「寂しい」と感じる瞬間は多岐にわたると思う。
その中で共感性の高いワードとして「孤独」というものがある。
ある考えとして「他者がいるから幸せがあり、他社がいるから苦しみがある」というものがある。これはアドラー心理学というものの受け売りであるが、人がいるからこそ幸せは生まれるが、逆に人がいるから比較し、自分で苦しみを作り出し、それに蝕まれるような道を踏み出そうとする。
この相反、グレーな矛盾。
私はこのブログ内で、よくこのグレーゾーンについて触れることが多々あると思う。曖昧だから難しく、曖昧だから美しい。だから人の生き様は美しくある。それはどんな人間であっても、だ。
本題だ。
私は今、自分の選択でその素晴らしいはずである、他者との世界、これはあえて恋愛場面で、とは言わずに、アバウトな背景で述べていきたいと思うが、それから離れて生きている。
何故だ、
素晴らしいものなんだ。そう、素晴らしいのだ。
だけど、離れた。
で、正直、寂しさ悲しさが薄まっていく。
素晴らしい世界から離れていくことに対して、感じない、特に、感じてたはずなのに。
1種の自己暗示
その先に何かある。必ず
そう、あることは知ってる。
絶望の先のもの、それが掴むべきもの。
遂にそのターニングポイントに来たのかもしれない。
いや、行き着くことは無い、終着点はない、なぜなら執着してしまったら、そこで終わってしまう。終わることは始まること、つまり、終わりはないことの証明となる、終わっているはずなのに。
こんな曖昧で分かりにくい複雑な素晴らしい世界の中で、みんな幸せに生きてる。
そう、みんな幸せなんだよ。
歩いてる。今本当に生きてると実感してる。
こんなに素晴らしいんだな。
1人だけど、独りじゃないから。
いつかはあるし、だからいつか。
終着のない、執着してはいけない。
ありがとう、素晴らしい世界。
だから歌わなくなったんだね