話題に乗っかってみようと思う。

音と言葉。

この2つに触れる言葉を紡ごうと思ったきっかけは、あの話題のドラマだが、この2つは私にとって大切で重要な人生の導である。

音、私は特に音楽というコンテンツでこれに触れているが、今回は「音」という言葉であえて表現したい。人は、いや健常者は常にこれに触れて生きている。その用途は様々であるが、生きるのに不可欠と言われたら、ほぼの人が頷くであろうと思う。ただ、それが不可欠でない人間がいることを今、ドラマというコンテンツを通じて感じてる人が多くいると思う。いい機会だと思う。考えて欲しい、「音」が私たちに与えてることを。「音」は生活だけではなく、人と人の琴線に触れるために重要な役割を担ってる。これが以下に美しく、儚く、そして唯一無二であること、「琴線」という実在しない領域の概念に触れるために「音」は欠かせないのである。音楽は人の真の底に触れることが出来る存在である。ただ、それを受け入れることの出来る事実をもっと美しく考えて欲しい。で、ここで結びつけたいのが「言葉」という存在のことである。「言葉」とは、意味を表すため、口で言ったり字に書いたりしたもの。のことを表現したこれも「言葉」である。周知の事として、世界各地にはその場、その文化に合った言語などが存在し、その形は多種多様で、それこそ手話という手段や、点字など音声としての概念だけではなく、人と人を繋げる架け橋、これは「言葉」でしか成し得ない役割である。と、考えた時に、「言葉」に重きを置いて物事を見据えたことあるか?人それぞれ言った言葉に後悔をした、または自分を苦しめた経験はあると思う。それを忘れないで欲しい、だって、「言葉」にしか担うことの出来ない役割があるから。

こうやって、常に大切にしている「音」と「言葉」について、自分なりに紡いでみたが、言いたいこと、それは、人と繋がるためには、自分を訴えるためには、私はここに生きていると存在を確かめるためには「音」「言葉」がこれが重要であり、大切であること、そして、かけがえのない存在であること、これを再認識して欲しいなと思う。それが私なりの「意思」である

 

 

と記したが、上手く言葉にできた気がしない。

まぁそれも言葉のあざとい所だなと思う。

 

 

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