indigo la End 「通り恋」
色んな事象の溢れるこの世界。
どんな事も忘れちゃいけないことが必ずあると思う。
その忘れてはいないことの形はそれぞれだけど、それぞれ意図がある。
この曲は私にとって忘れてはならない曲だと思う。
この曲の情景を表すとしたら『終焉後の戯言』
失ってから、傷つけてから、その結果が出てから気づく正解
当たり前なことが当たり前ではない、よくある言葉だが、これは正しい。
そこにある幸せとありがたみを何故か常に永遠に存在し続けるものだと考えてる。
当たり前だと、無償だと、感じられることは幸せなことである。だけど、何もせずに手にすることが出来ることはこの世の中にはない、これが筆者の考えである。
まぁこれも後悔したからこそ気づいたものだが、
結局失敗からしか何も学ぶことの出来ない弱い人間である、私は。
だけど、あの苦々しい過去(詳しく話すと自分がどん底に落とされた直後に2020年初頭のコロナが1番酷い時だったため、誰にも関わることなく3ヶ月間自分の不甲斐なさ、弱さと向き合うことばかりの日々であったこと)があるからこそ、今の私という人間が存在し、考えがあり、生き様があり、今も前を進むことが出来ていると思う。
それを何度も何度も思い返すことが出来る曲。
それが「通り恋」
『追伸、あなたが好き』
後々になってその言葉を残したところで、それはただの自己満足でしかなく、何も生まれないただの喪失感と後悔と懺悔、贖罪として向き合う過去しかそこには存在しない。結局人は未来を今にして生きる、過去はこれから先には存在しない。
溢れて溢れてしょうがない思いが本当にあるなら、今が過去に、未来が過去になってしまう前にそれを形にしていかなければならない。
ただ、それに気づくことができる人はそれほど居ない、かつ、そう簡単にできることでもない。
だが、やろうとしなければ何も生まれない。
気づくことをしなければ何も始まらない。
何がその瞬間で1番大切で、失いたくないものはなんなのか、それを自分から気づけなければ去ってしまう。それは自分だけではなく、他者との繋がりの中で人は生きているからである。
今の幸せは誰かがいるからある。
自分の幸せは自分で手に入れなければならない。
なら自分は誰に対して心を向けなければならないのか。
難しいことではない、ただ1歩を踏み出すことが怖いだけ。いつまでたっても不安や怖さは生まれる、ただ、それを背負い進むことが出来る。
ただそれだけを、いつまでもすり込んでいく。
去り際でなく、会う度に思い返せる人でありたい 。