川谷絵音 presents "独特な人” 第五回公演
「影と毒⁺⁺」
この混沌とした世界は、何とかして直視してきたから成り立ってきたと思う。ただ背けたくなる現実ばかり五感に届くこの2年半。
人それぞれ闇を抱いてきた、抱かざるを得ない状態で、自分を守る盾のようにして生きる、それがこの2年半で人類、もしくは日本人という国柄ゆえかもしれないが進歩してきたことである。
これは言い替えてしまえば「毒を以て毒を制す」だと思う。あくまで闇は「毒」だ。本来、人を蝕むものである「毒」を持たざるを得ないのである。そしてその「毒」に犯されない人間ばかりでは無い。
人は簡単に死ぬ。
死ぬという言葉の捉え方を変えれば、消える、倒れる、負ける、屈する、などなど、色んな言葉に言い換えれば「ああ、そうだな、人は簡単に、、」と私が思うことが伝わるかもしれない。
混沌とした世界に現れた「甘さ」に心を奪われ、人はあっという間に虜になってしまう。ただ、今の世界を生きてるために身につけた「毒」はそれを苦々しいものに変えていく。
そして気づくのである。「毒」は元々我々にあるものであった。それに気づいていなかっただけだと、我々は自分達を立てて、崇め、立派なものだと言い張るが、本来は正となる部分と対になるものを持っているのである。
「それは違う」「それは悪だ」「なぜできる」「わからないのか」いや違う、わからないのはお前ら、俺ら、自分なんだ。
それに気づけば「やりきれない やりきれない」と思いを馳せ、甘さと苦さの間に我々は生きていること、正しいばかりで生きていないことに気付かされるのである。
曲というのは、それぞれの人によって捉え方や、扱い方が異なる特異なものである。
それはこの舞台も同じ、この「苦さと甘さ」をどう吸収するのか、どうかも。
ここまで前回と今回の「影と毒」について感想を述べた。ここからは今回の構成や、前回との違いなどに触れていきたい。
まず構成についてだが、去年と今年の闇部分はそれほど変わっていない。まぁこれは今年も去年も何も変わってないことの暗示かもしれないが、新しい「独特な人」を見たかったという思い的には少し残念と思ってしまった。ただ、中身自体は興味深く、特にシリアスパートに落とされる感覚は、今のコロナ禍を生きる我々なら共有しやすいものであると思う。コロナ禍に振り回された時に出会った人、ただ、コロナ禍の孤独に奪われしまうという流れ、今の世界を生きる人なら経験してきてしまった悲しい現実である。だからこそ、我々観客はシリアスパートに落とされ、「sad but sweet」の圧巻の表現に心を奪われるのである。
前回との違いだが、こうも演者が変わるとセリフの捉え方なども変わるのだと感じた。
まずこれに尽きる。
そしてもうひとつ、「sad but sweet」の部分、去年は後ろ側で見たからこそ、全体に映し出される赤と青のコントラストと、自分の闇と向き合う場面の威力を、あのホール全体で感じた。今年は、最前2列目で見たからこそ、音と演者を近くに感じ、より一層あの世界観に落とされた感覚があった。
夏夜のマジックに独特な魔法をかけられた。
今日もどこかで「アイスが食べたいなあ」そんな声が響く。