今を逃したくないからこそ思うこと。

マカロニえんぴつ 「ハッピーエンドへの期待は」

 

どれほど自分を理解し、相手を理解し、深いそこまで繋がってしまう、繋がってはいけないほどの境界線を超えた関係を築いたことはありますか。

そこにあるのは全てを把握出来てしまうからこそ生まれる悲劇しかない。人は行き着いては行けない極地、至るべき瞬間に至るべき極地が存在する。それに若くしてから行き着いたらどんな結末を辿るのか、若すぎる、青すぎるから理解出来ていたとしても、答えの無さに絶望し、傷つき、言葉にできず、他人には理解されず、その関係でしか語ることが出来ない場所にたどり着く。

あの場所に立った時に感じる一つ一つは、正直凡人には分からないと思う。上から目線の言葉であるが、大人だけど未熟で、正しいけど正しくなれない、あの不透明でグレーでしかないものは大抵理解出来るわけがないからである。

人との繋がり、自分とは何か、他人とは何か、この世界とは、家族とは、友達とは、恋人とは、この世の全てを理解し、共有し、理解し、把握し、全てを全て理解してしまう、理想と言えば理想がこの世には存在する。ただ、理想は理想であるから良いわけであり、幻想でない現実になると、それは理想でなく、悲劇的なものになる。

 

形になってはいけないものがあるのである。

 

曖昧で、理想的でない世の中であるから成り立つものがあって、不完全であるからこそ大切に尊重し合えるのがこの世の中の理であると感じる。

全てを理解してはいけないと思う。

 

不完全で全てに介入できない存在同士だから、大切にして素晴らしいものを築き、これから先も磨きに磨いて作り上げていきたいと思う。

その、全てを理解してしまうことで生まれる苦しみを理解しているからである。

 

あの頃こうしておけば何かが違ったのかもしれないとはおもわない。離れたことは間違いでないと思うし、もう出会うべき、交わるべきではないとお互いに理解している。ただ、過去のそれがあるから今の自分が幸せにさせたい、幸せになりたい、幸せになろうと動けている、その紛れもない事実が存在しているからこそ、まやかしのような言葉で誤魔化すことはしてはならないと思う。ただ、言葉を綴るだけで、蓋はすべきであるが、

 

ハッピーエンドなんて言葉は違うし、甘えなどは要らない、それは今に大切に1番に全てを捧げる存在がいるから。過去なんてものではなく、今とこれからのその2人を信じていきたいから。

 

だから名前をつけて残す気はない。ただの記憶と戯言。そう、ただの経験なだけ。

 

 

 

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