indigo la End 「濡れゆく私小説」
好きにならなきゃ良かった。
苦しまずに、こんな思いしなくて良かったはずだから。赤裸々な、人には言えないような気持ちばかり芽生える中、でもどこかで全部を否定できない。幸せで笑顔で溢れた事実が表裏一体となっているから。人の気持ちには姿がない、だから見えない中で、偶像の世界の中で形を変え、取り巻くオーラのようにこの世界に溢れている。溢れた中で自分の気持ちを見つけ出し、紡いで紡いで形に何とかしようとする。それを形にした一つの作品、「濡れゆく私小説」。
深く深く、自分の世界のみに沈み込もうとした川谷絵音が『蒼糸』をきっかけに外に音楽を発信していこうと決心し、その処女作。
indigo la End はどの作品においても自分たちの色を失わずに、その歩みを1歩ずつゆっくりと歩んできたが、この曲は『夏夜のマジック』がTikTokで流行ったり、大衆に少しずつ音楽が聞かれるようになってきたindigoの『らしさ』が溢れる作品となっている。
indigo la End の青みがかった作品が溢れ、その切なさと苦しさ、その刹那に垣間みる情景、その間にしか存在しない感情。味わったことの無い感覚に襲われる。似た者を味わった者には、その感覚を深く濃いものにさせる。川谷絵音の表現者としての価値を、再認識させられる作品である。
颯爽としたサウンドの中に溢れる数多の詞。
その哀愁の深さを感じられるのは、本当にindigo la Endという音楽が好きな人のみ感じられる。そのためには何度も何度も聞き込み、その底にあるものを手に入れようとしなければならない。
人は失う時にしか得られないものがあると知らない、知らないからこそ失う。そして後悔。
その人が1段階上に上がる為にも、このアルバムはあっても良いと思う。
作品としての捉え方は、人それぞれ。
それぞれにとってのアルバム。
それぞれにとっての楽曲。
哀愁と間。