4ヶ月

indigo la End 『染まるまで』

 

 

 

 

 

引っ越して、一人暮らしを初めてもうすぐ4ヶ月になる。

色んな事を感じた。

色んな事を経験した。

色んな事を考えた。

たった4ヶ月、たった120日。

けど、自分の感情を確かめるには充分だった。

 

けど、その確かめるだけに旅った訳では無い。

問題はここから、どうやって自分を磨くのか、鍛錬するのか、自分の慣れない土地で、望む生活を夢見ながら、人として成長させるのか。

 

失敗ばかりだ。いや、失敗というより失念である。

自分の気づいていた『弱さ』が露呈して、それで自分を締め付けている。

これは、これから長い人生生きていく中で私の壁となるであろう存在である。

 

それは具体的になんなのか

『詰めの甘さ』だ。

大体の事を『これくらいで充分』と自分のさじ加減で測って行動する。

そうすると何が起こるのか、まぁだいたい不祥事だ。

それは結局、自分の価値を下げる物となる。

言ってしまえば、自己中で適当なのだ。

 

何をすべきなのか、やはり『ゆっくり、確認し、行う』事を繰り返すべきだと思う。

私には何も無い、何も出来ない存在だ。

だからこそ、私がマイペースにやってもある程度損は出ない。むしろ正確性の方が今の私には求められてると思う。

この『正確性』🟰『詰めの入念さ』は何事の基本であると思う。

 

ここだ、これだ、これをしよう。

 

基本がグラグラで失敗は重ねてきた。

だからこそ今は、見つめるべき基本に目を向けるべきだ。

 

 

『染まるまで』

 

 

その終焉は私は望まないし、それを目指してる訳では無い。

別の未来がある。

 

でも今やるべきことは『自分』の事だ。

いや、『自分』の事であり、『誰か』との事でもあるのだ。

 

 

最期まで居たい、この願いを叶えるためにも私は今日も生活地に戻る。

 

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強欲でありたいけど、調和も大事にしたい。

例えば、

 

 

 

四季をどう捉えてるだろうか。

 

 

私は春と夏は上手くいかない。なぜなら、何かを始めることが多いこの季節、ファーストコンタクトを取る事が苦手な私は、なかなかこの時期、関係性を築けずに悩む事が多い。

 

で、秋と冬だ。

個人的に、暑さに弱い私は(夏生まれであるにもかかわらず)この季節の方が生活しやすい。それも影響しているのかどうか知らないが、大体この時期だと物事も円滑に進む。

何か大きな成功を収められたのも、この時期の出来事が多い。

 

そんなことはとりあえずどうでも良い。

 

この3ヶ月、私はどう生きてきたのだろうか。

 

何故このような議題が浮かぶのか、それは私が今年から社会人として、社会に身を投げ出したからである。

で、思うことは1つ。

私は私という「個」を尊重して生きたい、と。

これは、私が家庭の中で、父の作った借金を原因に、父も(こればかりは自業自得としか言い様がないと思うが)母も、朝から晩まで働いて、働いて、働いていた姿を見てきたからこそ、生まれた考えだと考えている。

金を稼ぎ、誰かの為に働き、それを繰り返す。

私が社会、他者への貢献心が無い訳では無い。

私のやりたい分野で、私と、相手の双方に利益を生みつつ、稼いで生きていく。

そうしたいと思い、私は今の道を生きている。

ただ、現実は甘くないと実感している。多忙な程の毎日サービス残業を繰り返し、半日以上の時間を費やす労働。

自分の経験の為、地方に投げ出してより感じるようになった「東京」という街での暮らし。

生きていく為に必要な、金、環境。

組織の中で見えてくる暗い部分、そして、それを押し込んで働く現実。

 

仕事は良い、やりたい事をより現実に、自身の実力を付けるための段階を迎えていると感じている。

少ない時間の中でなんとかして、心の余暇を作り出している。

 

が、これでいいのか。自分に適した生き方はこれなのか。

 

「個」を尊重しすぎたら、自己中的な存在を作り出してしまう。

それは避けたい。そう生きたい訳では無い。

 

ただ、「生」を全うするためにも、自分に最適で快適で充実したものを目指さなければならないと思う。

 

それがまだ分からないから、見知らぬ慣れない土地で、生き急ぐ必要があると私は思っている。

少なくとも25までには見定めたい。

20代という1番若く、動ける時期を、仕事だけで終わらせたくないと、ココ最近強く感じる。

ただ、仕事も私の望むものでありたい。

仕事と、生活と、自分自身の価値と、環境と、選択したいものが多々あるからこそ、優先順位をつけて選択しなければならないのかもしれない。

ただ、私はこの点に関して強欲である。

全て、理想であって欲しい。

 

明確にどうありたいのか、形にしないといけないと思う。

ただ、それを明確な形に出来る訳でもない。

 

生きるとは難しい。

 

だが、価値を高めて、生きることを目指して、「死」を迎えること。

それは面白い事だと思う。

 

優先順位か、優先順位なんて付けなくて、全てを優先したい。

 

なんでその生き方を選んだのか、話を聞いてみたいもんだな、色んな人に

 

 

また明日が来る。

 

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嬉しいことがあったから言葉に残す。

何かを残したくして、言葉にする。

 


感情という存在が私たちにはある。

 


私たちにしか無いもの。

 


私たちにしか感じられないもの。

 


私にしかあるもの。

 


どんなものだっていい。

 


それは醜いものかもしれない。

 


けど、どうだっていい。

 


信じよう。私を、私たちを。

 


信じなくたっていい、けど、存在する。

 


何があっても生きていける。

 


それは揺れる感情があるから。

 


こんな言葉を残したい。

 


今までも、これからも、いつまでも。

 

 

 

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ありふれた言葉に浸りたくないけど、今だけは

 

きのこ帝国 ありふれた言葉

クリープハイプ

あいみょん 夢追いベンガル

マカロニえんぴつ 青春と一瞬

 

 

少し夢を見たいと思う。

 

 

 

3つ前は、周りは誰もいない。本当の孤独だったと思う。そのくせ自分は空っぽ。何も無かった。ただ生きてた。空白。そして、失って、あの先の見えない暗黒が始まった。

 

 

 

 

2つ前は、初めはもう何も無かった。先が見えなかった。真っ暗、もがいても何も無い。また、縋る。甘さ、でも必死だった。必死になるしか無かった。

 

 

 

1つ前は、変化が起きた。でも流されていく中で、見失っていたものあった。拾おうとしては、拾えず、繰り返して、繰り返して、また失念。

でも、昔と違って何かを起こそうと奮起していた。生きてた。

 

 

 

 

今は、生きてる。

どうなんだろう。この1年の自分は生きれたのかな。でも、自信はある。昔と比較なんて出来ないくらいに生きた自信はある。

でも、それもまた明日で区切りが付く。

 

珍しく、満足している。

何か足りないと、常に考えてる私が珍しく気持ちが温かく包まれている。

学生生活最後に後悔せず、できることをして、学生としてめいいっぱい生きたいと願った1年前。

その夢は叶ったよ。

 

心苦しいことも沢山あったし、思うようにいかなかったことも多かった。

けど、一生に一度のものを得られて、それを感じながら生きれたんじゃないかな。

 

今日と明日くらい自分に優しくなっていいですか?

楽しかったね。良かったね。

 

 

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ブルベ

 

 

息をする。

口にする。

目にする。

耳にする。

眠りにつく。

 

 

 

私は今日まで、そしてこれからも人としての営みを続けていく。

これらの行為は普遍的でなければならない。当たり前でなければならない。

ただ、そんな普通の日常にどれだけ色を加えられるのか、それが一人一人に課せられているものではないか、と思う。

 

 

 

私は22年生きてきた。

 

 

 

私だけの人生、私だけが歩んできた道、それが人生であり、これらの全てを運命と評することも私になら容易だ。

私は運命とは巡り会うものとは考えない。自分で手繰り寄せるもの、それが運命だと考える。運命など自分の技量と努力と行動で創造するものだと思う。だからこそ、これまで出会ってきた人、経験した出来事、全ては運命であり、全て私に必要であったことで、良い事、悪い事、全てが私を構築するに求められていた事である。

 

 

 

今の私はどんな色に写っているのだろうか。

間違いなく透明では無い。ただし、真っ黒でもない。世の中に白黒付けれるような事象などなく、それぞれ異なった色を纏った唯一無二である。

我々も同じだ。十人十色とも言うだろう。

生きづらさを感じる世が浸透しつつあると思う。今まで誰かの目に触れなかった部分が明るみに出て、常に誰かを感じるような感覚に陥る。

人と触れ合う、混じり合うことは悪いことではない。けど、私達は1人だ。多人数でいることに慣れすぎてはいけない。1人を重んじることを忘れてはいけない。これを重んじることなく、ズカズカと踏み入れるからこそ生きづらさを感じるのではないか、と思う。

 

 

私は音楽に影響を受けてきた。

音楽だけではない。色んな人や経験に感化されてきた。それに後悔はない。むしろ感謝しかない。

私がこう生きているのは、深い繋がりだろうと、浅い繋がりだろうと、覚えてる経験、忘れた経験、挙げれば数多ある全てがあるからだ。

だから私は明日も生きる。少しズレて生きていることは何となく認識している。恐らく。

だが、私は私だ。ハッキリと表現することが難しい世の中の中で、「自分らしさ」とは何か、今なら明確に言える気がする。

 

 

 

固定的ならしさなんてなくて、今の自分が「らしさ」であって、これから先の自分も「らしさ」。

自分らしさ、は今の自分を受け入れることで、それは紛れもないありのままの自分という1つだけの解答。

それが良いか悪いかなんて決め付けられないが、自分の存在が悪いなんてことは無い。

 

 

 

言葉を重んじて、考えに考えて、大切にしたいことを大切にして、行動して、謙虚さを忘れずに、

 

今日も明日も生きたい。

 

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8割と言わずに夜中の3時までも愛されると思いたい。

クリープハイプ アリーナツアー 2023「本当なんてぶっ飛ばしてよ」

 

 

 

 

 

狂気的で鋭く、時に凶器になり得る存在。

それが「言葉」だ。

ただ、我々は日々、言葉を交わす。そうして交じることで二つでしかなり得ない人が一つになる。そう、言葉は無くてはならないもの、そして、時に救いになるもの。

 


尾崎世界観のことを時に「怖い」と評す人もいる。私も時にそう表現する時もある。ただ、それはあの尾崎祐介が、等身大の自分を音楽というフィクションを通じてありのままの「言葉」発し、それを私たちは受け止める。そして、何気ない日常を当たり前に出来るありがたさ、それをクリープハイプを聞いて噛み締める時もあると思う。それがあの大きなステージにはあったと思う。

 


このライブのセットリスト、私にとって何かを思い出させる。いや、何かと誤魔化す必要のないただの本棚にある記憶だが、形にはなれない、なることがもうない何か、それがふと少し思い出しただけ、そうそれだけ。

クリープハイプの過去から現在まで伝える楽曲を幅広く披露したと思う。それはあの場にいた太客にも同じことが言えると思う。過去と現在と、そしてその先、全てと繋がれる場がライブという場所には構築されると思う。その時に生まれる「感情」と上手く形に出来ない「言葉」

できないからこそ存在して、できないから歌がある。それは側にクリープハイプがいて欲しいと感じる思いの根底の1つなのかもしれない。

 


クリープハイプは下ネタが多い。

これは間違いでは無い。歌詞ででかでかと「セックス」という言葉を隠す気のない表現をするのだから。

だが、私はそんな所も好きだ。別に下ネタが好きだからという訳ではない。人が隠そうとする言葉をあえて使い、それを歌にする。そうすればストレートだからこそ、分かりやすく、人間の荒さや悲しみ、切なさをクリープハイプという形で伝えてられているから、だから私は尾崎世界観の書くクリープハイプが好きだ。

そして、私はライブで感じたことが1つある。それは割と親子で参戦する太客が多い事だ。これが「お?」と反応する点なのは理解出来るだろう。分からない人はかつて自分が子供の頃、ドラマでキスシーンや濡場が表現される時、家が凍りついたような空気が流れた経験などを思い出して欲しい。そうなる場面が多いであろうクリープハイプのライブに親子で参戦する。これは私は凄く良い事だと思う。(まぁ私はしないと思うが)タブー視することなく、その言葉を受け止め、ありのままを親子で共有することが出来るその関係性、私は憧れはしないが、素敵だと思う。

 


ここまで私の言葉を残してきたが、言葉は目に見える。だからこそ、人に与える影響は大きい(人間の情報の多くは目から手に入れるというのを聞いたことがある)。それを音に乗せて奏でる。時に「怖い」と感じてしまうが、それだけ真っ直ぐ、いや時に、いや常にか、常にひねくれて素直になれないフロントマンが、真っ直ぐに言葉を吐き出す。そんなバンドが好きだ。

 

 

 

 

 

 

死ぬまで一生愛されると思ってて欲しい。

 

 

 

 

 

 

私たちはズレながらもちょっとずつ前に進められるから。

 

 

 

 

 

 

アリーナツアー 2023「本当なんてぶっ飛ばしてよ」

 


身も蓋もない水槽

しょうもな

一生に一度愛してるよ

君の部屋

月の逆襲

レーマンのせいにする

キケンナアソビ

ボーイズENDガールズ

明日はどっちだ

傷つける

ナイトオンザプラネット

本当なんてぶっ飛ばしてよ

一生のお願い

チロルとポルノ

愛の標識

ウワノソラ

週刊誌

火まつり

社会の窓と同じ構成

HE IS MINE

ポリコ

おやすみ泣き声、さよなら歌姫

イノチミジカシコイセヨオトメ

二十九、三十

 

 

 

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人生で出逢えた

indigo la End 「蒼き花束vol.3」

 

 

 

 

人生は別れだ 人生は出逢いだ

 

 

 

 

私の話を少しさせて欲しい。

 


indigo la Endと私はかれこれ7年の付き合いになる。これまで色んな景色、感情をこの蒼く、繊細で優しく、時には尖り、時には苦しむ、そんな人のような、言ってしまえば川谷絵音という人間を投影したような音楽と共に過ごした。

 


そんなindigoと初めてライブで出逢えたのは、

2020年11月14日 忘れもしないコロナ渦中の「夜警」神奈川関内ホール公演だった。

つまり、初めてのindigo la Endのライブを味わえた場所と、学生最後のindigo la Endのライブは同じ場所、横浜 みなとみらいだった。

 


私にとって、みなとみらいという場所は思い入れのある土地だ。私は神奈川出身で、よくみなとみらいには出かけたことがある。いわゆるそういうお出かけだ。その度に色んな感情、考え、出逢いと別れを繰り返した。どれもこれも今となれば遠い昔のただの記憶なのだが、これまでの自分の人生を思い返すキーは眠っていて、私の原点とも言えるかもしれない。

 


だから私は今回のライブは私なりの整理をして、覚悟とかカッコつけた言葉を添えるのは何かこそばゆいのだが、それなりの気持ちを胸にライブを迎えた。

 

 

 

「人生は別れだ」

 

 

 

そうだと思う。

私は今までどれほどの人と出会ってきたのだろうか、分からないが、今交流してない人、あまり願ってない去り方をした人、色んな人がいる。別れはその時の自分を成すものを、1つ削る作業である。その別れが良いにしろ、悪いにしろ、削るのだから心が締め付けられる。

 


そこに生まれる名も無き感情。

 


それを言葉として形にする。言葉、そう言葉。

でも言葉にしたくても出来ないのが、言葉の難しいところ。

だから歌がある。歌詞には言葉の想いを隠すことが出来る。色んな隠した想いの方舟が歌。

 


曖昧な感情と言葉と歌詞の「間」

 


「間」と表すれば分かるだろう。これがindigo la Endの奏でる音楽だと。

 

 

 

ライブが終わって思うことは、ただ1つ

 


「人生は出逢いだ」

 


そうだ、忘れてはいけないこと。

indigo la Endに出逢えた。色んな人に出逢えた。今の自分に出逢えた。そう、何もかも「出逢う」という素敵な、いや出逢うことが素敵なことでなければなんなんだ。人というこの世界にうじゃうじゃいる存在の中で、良いにしろ悪いにしろ、その人とその人が交わる瞬間が「出逢い」だ。

その奇跡と言葉にして良いことに対して、良い言葉以外の単語の何を当てはめればよいのか?

 


この地、みなとみらいでindigo la Endを通じて色んな感情や場面、考えを思い返すことが出来た。出逢ってきた。別れてきた。そして今を生きている。これから先もこのサイクルは変わることがない。いつかは負の感情に追われてしまうだろう。だけど、それはいつか「何か」に変わる、と思う。

負と負を掛けたら正になるだろう。それと同じと信じたい。

 


私にとってindigo la Endに出逢った曲は

「夜明けの街でサヨナラを」だ。

 


そう、サヨナラを歌った曲。

 


1度だけの出逢いも、一生の出逢い。

 

 

 

私は時に、負の感情によって底へと沈められてしまう時が多々ある。

それは、ちょっとしたことから自分で陥れることもあれば、誰かのちょっとした言葉、もしくはちょっとしたことではないかもしれない言葉、そんなのに出逢いたくなかったと苦しくなって、まぁいわゆる絶望だ。

だけど、そう、底が見えたらあるのは、平行に続く道か、上か、それだけだ。

その負の出逢いは、正の方向へ進ませる。必ず。

だから、負けるな、一言自分に言い聞かせたい。勇気を、ほんの少しの耐えと、その時生まれるほんの少しの勇気で、そこに辿り着くまでに出逢うべきものは気づいているだろう。

 

 

 

あの日、indigo la Endを勧めてくれた誰かの「夜明けの街でサヨナラを」の一言が、

こうして色んな事への出逢いへと広げてくれた。

 

 

 

人生は別れだ 人生は出逢いだ。

 

 

 

 

 

 

 


これからも藍色に出会いに行く。

心の中に「蒼き花束」を抱えて

 

 

 

 

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