夏が溶けだす

Laura day romance 「float」

 

 

 

晩夏に向けて夏が溶けていく中、残った暑さに飽きてくるこの頃。「毎年、夏と私の相性は良くないな」と毎年恒例のムーブに陥る。

ここ最近の私はなかなか調子が良くない。それは調子が乗らないという精神的な面だけではなく、身体的に調子があまり良くない。

個人的に、私は繊細なタイプだと自認しているし、だからこそ、今周囲で起きている変化や、問題等の所謂ストレスという概念を生み出す事象にやられてしまっている、という具合だ。

情けない話だ。上手く心と体と理想と現実と、バランス感覚が掴めないまま、この暑さに溶かされてしまいそうな自分自身がいる。それが何を表すのか、恐らく今の私の実力なんだろうな、と抽象的な「察し」で、自分の至らなさに簡単に苛まれてしまったりもする。こんな事でも重ねてにはなるが、自分は繊細過ぎると悲しくも嬉しくもない、ただの虚しい感情が身に染みる。

夏は私からしたら、明るくて爽やかなイメージであるが、私がしてきた夏は、「何も上手くいかない季節」である。人には色んなフェーズがある。365日春夏秋冬と過ぎていく人の生活なのだから、ずっと同じフェーズな訳がない。ただ、何故それが毎年夏なのか、ただでさえ暑くてやられてしまうのに、勘弁して欲しいのが本音だ。

弱音を吐くのもいいが、良い事のような事も文字にしたい。今の季節、丁度8月が終わる頃が私の好みのタイムになっていく。私が幼い頃に比べ、夏の時間はどんどん影を伸ばし、規模を大きくしていくが、その分、名残惜しさに引っ張られるような中途半端な夏が存在し始めた。

 


その「曖昧な」夏が私は好みだ。

 


夏なのか、終わったのか、続くのか、どちらかはっきりしない感じがウザったい気もするが、私は好みなのだ。良いでは無いか、この時期「ナツノセイナツノセイ」と蝉の鳴き声よりも鬱陶しいような言葉にしがみつく人の姿と、夏にかかってたはずの魔法に解かれつつあるような瞬間。滑稽だと映るかもしれないが、その人間らしさが私は好きだし、中途半端な場に身を投じるからこそ感じられる事もある。だからあの中途半端な夏が好きだ。暑すぎもなく、涼しくもなく、だけど、匂いは確かに変わった夜。

ああ、夏の夜、良いよな、夏の夜という言葉だけで季語を超えて、何かを私に訴えてくる。いじらしいけど、愛おしい。あの夜、夏夜のマジックのイントロ、しかも、ちゃんMARIRemixのピアノのイントロが流れた夜、忘れたくても忘れられない感覚だったかもな、忘れたけど。

 


なんだかんだ私も「ナツノセイ」と同じ人間だと気づいてしまう。悔しい、だが悪くもない。

私にとってこれからが夏本番、江ノ島も行きたい。夜の海を歩くって素敵な事なんですよ、冬も夏も。

この間夏の暑さに心も体もズタズタにされたのは、もう飽き飽きだ。ここからの本当の意味の「真の夏」に私は希望を見出したい。

 


P.S 社会人からだと深夜に解き放たられるのなら、金曜の夜がいいなって思う。金って付く「夜」のもなんか輝かしい感じするもん。

 

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